世相・感慨・人生観
1・世相について
我々の世代は第2次大戦末期には、国の為、老幼子女の為に命を捨てる覚悟もしていた。
昭和20年春、私は17歳で幼年学校を卒業し、陸士に進むため帰省していたが、陸士に進む為に家を出る時、戦況の極端な悪化を見て、私等は生徒であるが、最も精鋭な兵士でもあるから要所に配置され、再び家に生還するのは難しいと思い、父母宛てに遺書を書いたことは前に述べた。
戦後は瓦礫の中から立ち上がって、飢えや貧しさと闘いながら遮二無二働いて、日本を世界第二位の経済大国に迄繁栄させる事に、聊か貢献したと自負している。
然し、今や残照の時を迎え、つらつら最近の世情を鑑みると、この国は大変豊かになり、欲しい物は何でも有る時代になったが、何か満たされない空しさを感じる。
それは一体何故か? 心の貧しさではないかと思う。
政治家も、官僚も、経営者も、若者・中高生も一様に、志とか気骨、恥を知る心、犠牲的精神と言うような徳目を、全て忘れてしまったように思う。
人々は「個」の幸せのみを追求する自己愛に溺れ、「公」に対する義務・奉仕・或いは
帰属等の意識は、左翌勢力により歪められた戦後の教育・宣伝によって、意識的に排斥され、殆ど消滅した状態である。
そして腐敗、汚職、セクハラ、家庭内暴力、性の紊乱、いじめ、弱者に対する殺人等、唾棄すべき事件が続発する嫌な社会になってしまった。 もう少し各人が、自ら省みて恥ずかしくない行動を採るよう心掛けないと、この国の将来が心配である。
先の大戦で国の為に大切な命を投げうった多くの先輩達は、日本をこんな国にする積りで死んで行ったのではないと思う。物の豊かさだけを追うのでなく、もう少し心の清々しくなる世の中にしたいと、つくづく思うこの頃である。
一説には父親がそれらしくない事が、大きな原因だと言われている。従って、我々歳を取った男達が、現状改善の為に何か声を出して、行動をして行くべきだと思う。
「老い先も短い身で、何が出来るか!」と、言われるかも知れないが、少なくとも問題意識だけは持ち続けたいと考えている。
2・感慨
私の人生を振り返ると、良い家族に恵まれて、私自身は平均寿命の歳を遥かに超えて、かなり長く生きる事が出来た。また、仕事の面でも大蔵省(税関)、三菱商事、小川建設、NPO法人「クイーンの塔」と、各方面で一応確りと仕事を遂行する事が出来た。
その結果、国からは叙勲(旭日小綬章)の栄誉を賜り、家内と共に宮中に参内し、天皇陛下にも拝謁出来た事は望外の喜びである。
また、私が一番有難く思い、感謝し、嬉しく思っている事は、現在、私人自身は90歳になったが比較的健康に恵まれて居る事と、家内を始めとする眷族の全員が、平凡ではあるが元気で仲良く、真面目に暮らしている事である。
5人の孫達も順調に成人し、皆明るくて元気な良い子ばかりである。彼等は全員が大学を卒業して確かな所に就職し、真面目に働いて納税の義務を果たして居る。その内の
二人は既に良き伴侶を得て結婚して居る事等が、何よりも嬉しい事である。
彼等の澄んだ眼、ピンと張った艶やかな頬、そして、逞しく、或は美しく成人した姿を見る時、つくづく我が身の老い老を知らされる。然し、自分の血(DNA)を受け継いだ若い命が、伸び伸びと育っている姿を眼の辺りにすると、「やがて此の身は滅んで行くけれども、自分が此の世に生きた証(あかし)は確り残るのだな。」と安心し、そして嬉しくなる。 孫が可愛い理由は、此処に在るのではないかと思う次第である。
3・健康観・死生観について
私は今年で男子の平均寿命よりも10年も長く生き、77歳で亡くなった父よりは13年も長生きをした事になる。今後、病気になれば医者にも掛るが、何時も「健康」とか、
「長生き」が頭にこびり付いているのは、老後の楽しい生き方だとは思えないので、
万事自然に任せようと思う。即ち、死とは決して敗北ではなく、夜になれば自然に眠りに落ちるように、或る時期が来れば、生物には必ずやって来る生理的な自然現象で、
「死は避けられないもの」と受容すべきだと考えている。
また、皆が死を恐れる理由は、絶対に不可逆的で、死の直前に大変な苦しみがあるかも知れない点であり、何時来るか解らないもので(これは救いでもあるが・・・)、身近な人との絶対的な別れであるからだと思う。
然し、私は「人は死ねばゴミになる」と思って居り、来世を信じていない。 だから
こそ、現世を大事にしようと考えて居る。詰まり、生かされている間は、楽しく充実した人生を送りたいと願うものである。現世がハッピーであれば、死の瞬間を真近かに迎えた時に、宗教の力などを借りなくても、ジタバタせず満足して、従容として死んで逝けるのではないかと予想している。 「良い人生だったよ。 お世話になりました。
有難う、さようなら!」と、皆に感謝しながら息を引き取りたいと願って居る。
この歳迄来ると、長く生きたいとの思いは段々と薄れ、死を恐れるよりも、むしろ寝たきりになり、周りの人に長い間大変な迷惑を掛けることの方を恐れる。 出来れば、
そう言う事態は避けたい。詰まり、相応の歳まで元気で生きて、ピンピン、コロリと
この世を去る事を、心から願う次第であるが、こればかりは自分で創り出せる事ではないので、神仏に祈るしかないのだろう。
私の亡き後、ただ願うことは、世界の平和・日本国の繁栄・そして、私に縁のある全ての人々が、健康で仲良く、明るい幸せな生活を送ってくれる事だけである。
辞世
悔いは無し 信条のままに生きたれば 縁の人の幸祈りつつ
