着任早々、前任の部長と共に庁内の挨拶で廊下を歩いていると、一人の記者が近付いて、「部長、あれは書かせて貰いますよ。」と前任者に向かって言う。 

部屋に戻り「何の事か?」と聞くと、「実は、金丸 信氏の息子が絡む、密輸事件の大きいのを嗅ぎ付けられ、書かれそうで困っているのだ。」との事だった。

1週間後、件の記者が「着任ご挨拶」と称してやって来て、最後に例の事件の「引継ぎは在ったか?」と聞く。勿論「未だ何も聞いて居ない。」と答えると、彼は帰った。

それから2~3日後、東京新聞の三面に5段抜きの記事が躍った。

大要、「与党大物政治家Kの長男が、台湾から豚肉の輸入で2億円の関税を不正に免れ、横浜税関に摘発され通告処分を受けている。」で、記事の内容は極めて正確であった。

そして、記事の信憑性を高める為か、記事の最後に尾山監視部長談として「・・・今後、この種の違反事件は厳しく取り締まって行く方針である。」と載っている。

私は愕然とし、そして猛烈に腹が立った。 全く喋って無い事が、私の「談話」として載っているではないか!その夜は、ニューグランド・ホテルで倉庫協会のパーティーがあり、税関長と共に出席している時、監視部から緊急電話があり、大勢の新聞記者等が来て、「部長に会わせろ!」騒いでいるので、至急帰って貰いたいとのこと。

部屋に帰ると15~6人の記者が座り込んで居た。例の記者は勿論居なかったが、記者等の団長のような男が私の横に座り、「貴方が喋ったのか?何で東京だけに漏らした!」と詰め寄って来た。私は「何も話していない。」と言うが、誰も信用せず記者は騒いで険悪な雰囲気になった。この時私は、「彼等も組合の連中と同じだな。」と思った。騒ぐけれど手を挙げる訳ではない。「落着け、落着け。」と自分に言い聞かせた。

記者等はデスクから尻を叩かれ、「抜かれたのなら、追加の記事を取って来い。」と言われているのだ。だから、「あんたが喋っていなくても、部下が漏らした責任がある。何か新しい話しをしろ!」等と言う。そのうち私は、あの記事の中で私の発言とされている文言が、何処かで聞いた記憶がある事に気付いた。 「???・・・そうだ、あれだ!」先週、記者クラブのメンバーを集め、定例の半年間の密輸摘発状況を私から発表した。その時に、資料の文書も交付したが、その末尾の文言を彼は引用したのだ。

記者達が一向に退く様子が無いので、「私が喋っていない証拠がある。」と言うと「何だ、それは?」と聞いて来た。例の文書の控えを持って来させ、「貴方達も見覚えがあるでしょう。」と、文末の表現を示し、「彼は此れを私の発言として書いたのだ。」と告げた。

それを見た記者等は「此れは酷い!」(東京の記者の取材方法に対して)と言って、恰も潮が退くように一斉に引き揚げて行った。そして翌日の各紙には、後追いの記事が一件も出なかったのである。

これは後で知った事だが、マスコミの業界では後追いの記事が全く出ないのは、特種にならないのだそうだ。1週間位して東京の記者は謝罪に来た。然し、私は許さなかった。

「君はあの記事で社内の評価を上げたかも知れない。だが、言ってない事を言ったとして書かれた者の立場はどうなるのだ?私は絶対に許さない!」と追い返して、それから私の復讐劇は始まった。

周囲の者から「あの記者は、『横浜税関は特種が取れる。』と言って、本社の転勤要請を7年も拒否して、此処の海事記者クラブに居座って居り、怖い記者だ!」と聞いたが、歴代の幹部も税関も、随分と舐められたものだと思った。

本件は記事の正確さから見て、私は内部にインフォーマーが居ると睨んだ。

それは恐らく密輸の摘発をする審理課のベテランだろう。最初、私は犯人探しをやろうと思ったが、それは徒労に終わるだろうと気付いて止めにした。

何故なら、幾ら聞いても「私がやった。」と言う者は絶対に出ないだろうと思うからだ。

その代り私の脳裏には、野毛辺りの居酒屋で、この記者が審理課のベテランと一杯やりながら、彼の仕事振りを褒めそやし、「与党大物の身内の事件ともなると、政治的圧力で揉み消される恐れが大きい。自分にその記事を書かせて呉れれば、揉み消されない様にする事が出来るし、皆さんの活躍を世に知らせる事が出来る。」等と口説いて居る情景が明らかに浮かんで来たのだ。

私は直ちに課長会議で指令を出した。「以後、記者と1対1で酒を飲んではならない。」すると、それから10日位して例の記者が飛び込んできた。「部長、あんた評判悪いよ。『記者と酒を飲むな。』と言ったでしょう!」私は腹の中で喜んだ。「効いたな!推察は的を射て居たのだ。然し、それを私に言いに来るとは、この記者余り悧巧ではないな。」とも気付いた。

毎年暮れになると、中華街で海事クラブの記者と税関幹部の忘年会が開かれる。

カラオケが始まって私の番が来たので、「旅姿三人男」を歌い出すと、例の記者は頼みもしないのに、鉢巻をして側で下手な踊りを始め、耳元で「部長、これで勘弁してくれる?」と囁いた。「ふざけるな!」が私の返事だった。

そして、私が待って居た次の異動期が近付いた時は、不安がって反対する部下の言を全て退け、審理課のベテラン達を悉く配置換で転出させた。

その後は、例の記者に特種を抜かれる事も無く推移し、次の税関記念日のパーティーの席で、例の記者が寄って来て「部長にあのペーパーで、特種を潰された。」と呟いて、漸く海事記者クラブから転出して行ったのである。 了



尾山喜一 拝





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