第1・プロローグ
3日前の横浜税関OB会のパーティーで、現役幹部のTさんから、三菱商事で私が関與した税関の輸入後調査の話を聞かれたが、彼の質問は大要次のような事であった。
「尾山さんが三菱に居られた頃、(私は、1997年に三菱商事を退社して居る)、一度だけ事後調査にお邪魔したが、両方の立場を良く考えて頂き大変お世話になりました。ところが今でも現役の中には、尾山さんの三菱商事での輸入事後調査の対応を、非難する者がかなり居ます。
私はあの人がそのような変な事をする筈が無いと思って居り、そのギャップが埋まらず不思議に思っています。今日はその辺の話を是非伺いたいのです。」との事。
立ち話で時間も限られていたので、十分な話は出来なかったけれど、私はかい摘んで次のように説明した。
第2・概略の説明(立ち話よりは、やや詳しい)
《それはマグロ缶詰をタイから特恵で免税輸入するケースで、平成6年(96年)秋から翌年の春に掛けて、私と横浜税関事後調査部門とが揉めた件でしょう。
当時関西と中部の税関当局は、タイではマグロが捕れない事を調べたうえで、事後調査の際に関係商社に原魚の捕獲地を聞き、タイ獲れでないと分かると『原産品からの加工でない』として特恵の不適用を伝え、2年遡って既に関税を追徴していた。
横浜税関はそれと同じ論法で三菱商事に乗り込んで来たのである。
一般に輸入者は、税関が輸入許可印を押しているから、それを拠り所に安心して商売が出来る訳である。 其の状態が10年間も何の問題も無く続いていたのに、突然ある時から、事後において解釈を簡単に覆して、2年も遡って有税にするのは、行政法の公定力(許可したものは簡単には取消せない)の論理から言っても、絶対におかしいと思った。私は『次の通関から有税にするのなら従うから、遡及追徴だけはやめて欲しい』と頼んだが、それを聞けば追徴額は0になるから、税関は『他社は払っていますよ!』と言って、頑として聞入れなかった。
かりに追徴となれば既に商売は終わっており、取り返せない損失(三菱だけで4千万円)となるから、会社の担当者は、『左遷され、自分の将来は無くなる!』と青くなっている。私は担当者が哀れで、何とかして救ってやりたかった。。また、法理論から言っても、この場合『遡及追徴は絶対に許せない。』と思った。
だが、税関はどうしても公定力理論を受け入れない。そこで仕方なく、関係する関税暫定法に何か穴は無いかと思い、暫定法の規定を隅から隅まで丹念に読み返した。
その結果、暫定法施行規則の別表の備考と言う一番末の方に、原産品の定義に関する面白い規定を発見した。
この規定を使うと「タイ獲れ」のマグロでなくとも、原産品である魚からの加工と看做され、特恵が可能となるのである。
各税関は私の新説を詭弁なりとして、猛然と反論して来た。論戦は半年に及んだが、結局は関税局業務課を巻き込んだ三菱側が勝ち、既に徴税した税関は文句を言いながらも、追徴済みの関税を還付し、横浜税関は調査を打ち切り決着した。
その免税輸入はその後も何ら変更なく、今でも免税で通関されていると聞いている。
この事は、或る時税関は別に問題ない免税扱いを突然否認し、輸入者に対し修正申告で(自ら間違っていたとして)、納税せよと執拗に迫ったが、拒否されると更正(強制課税)する自信もなく、結局は一旦徴収した税を返却した。
つまり、税関当局は非違に当たらないことを取り上げ、膨大な額の税金(業界全体では5億円になる)を、修正で徴収しようとした大きな誤りを犯していた事になる。言い換えれば、私によって誤りを途中で正して貰ったと言っても過言ではないと思う。
然るに、その後も三菱商事に事後調査に入れば、私の後任の三菱の税関OBに向かって、『かつて尾山さんという、大変非協力的なOBが居たが、貴方はそういうことのないようにして欲しい。』と注文をつけると聞いている。
私の居ない所で[非協力]と言うような抽象的な表現で、真相を曲げて私を非難するのは全くフェアーでないし、自分らの誤りを反省しないどころか寧ろ糊塗する態度で、呆れてものが言えない。
ここまで話せば、間違っているのはどちらだか既にお分かりでしょう。後日整理して手紙で詳しく説明しましょう。》と別れて、以下の文章を彼に郵送した。
第3・詳細説明及び意見
先日簡単にお話した事案は、詳しく話すと半日掛かるので、以下断片的になりますが、関係する事項及び私の意見を下記の通り纏めました。
事件後10年以上経ち、手許には法令も資料も全くないので、すべて記憶で書きましたが、私が13年間の三菱商事時代に、唯一真剣に取り組んだ本件の内容は、そう簡単に忘れるものではありません。
記
目次
1・特恵輸入の本質は通関(業務部門)マター
2・次長室での論戦
3・実質・自国関与品
4・税関長交代まで打切り通知無し
5・公権力行使は慎重に、徴税のプロはもっと勉強を
6・誤った噂は止めて貰いたい
1・特恵輸入の本質は通関(業務部)マター
本件が問題になった時、私が真っ先に思ったのは、「これは、事後調査部門の仕事では無く、業務部門が所管する典型的な通関審査マターだ。」という考えである。
原産地資格の問題であるから、通関時に税関窓口の審査で否認されるのなら未だ分かるが、事後の調査において、同じ大税関が押した太鼓判の意味を一顧だにしないで、「あの輸入許可は特恵の要件を満たしていない、2年遡及して追徴」と言うのは、増差税額の数字を上げたいとの思いが強過ぎて、「事後調査班は安易に特恵輸入に手を伸ばして来た所謂筋の悪い、無理なケースだな。」との想いだった。
私は当初、公定力論で押し通したかったし、これで行けると思っていたが、税関はどうしても認めないから、先ず通関マタ-の特恵業務を担当する大蔵省関税局業務課の特恵担当の課長補佐を訪ね、写真等も見せながら自説を展開した。 即ち
「税関は、『特恵適用出来る缶詰は、「タイ獲れ」のマグロ(原魚)からでなければ駄目だ。』と言うが、「タイ獲れ」以外のマグロでも、タイで捌いて4つ割りのフィレ(タリフで魚の分類に入っている)にすれば、項が変わってその時点でタイ原産の魚となり、それから造った缶詰だから問題無い」。(確かにこの論はややこじつけの感もあるが)、租税は成文法によるから、ここで施行規則別表の備考の規定が活躍して、私の論は辛うじて通るのである。
3回目の折衝の時、補佐は「確かにそのように読める。然し、良くこれ(例の備考の規定)を見つけましたね。裁判をやれば貴社が勝つでしょう。」と、当方に軍配をあげた。その後驚いたことには、私が何も頼まなかったのに、各税関に事務連絡を出し、私の説を紹介して、「そのようにも読めるから気を付けるように・・・」と、注意を喚起して居たのである。
当時、本省内で調査保税課と業務課がこの問題で相当激しく議論したと聞いていたが、
そのことは、各税関の事後調査部門は、これだけ問題のある規定の解釈を、その担当部門である業務系統と何らの事前相談も無く、独自で非違と断定して突っ走り、問題になった後初めて盛んに協議した事を意味している。(これが誤りの出発点だ。)
2・次長室での論戦
秋から続いた横浜税関・事後調査部門と三菱の論争は半年に及んだが、最後の場面は翌年3月1日横浜税関の水沼調査保税部次長室での会合だった。
横浜税関輸入部から「結論を伝える。」との事で私は呼び出されたので、全ては頭に入っているからぺーパー類は何も持たずに、担当の社員一名と共に出掛けた。
部屋には次長以下、特別調査官、統括官、上席官等5人位(関税鑑査官も居たように思う)が、皆分厚い資料持って居並んでいた。
次長は「原魚を解体した物は、タリフ(税表)の分類上フィレには該当しないから、貴方の説は通らず特恵扱は否認する。修正申告をするように。」と言った。私は、分類の解釈は複雑・微妙だから様々の意見が出るだろうと、タリフの解説書のノーメンクレチャ-も読んでおり、この事態を当然予測していた。又それ以前に、横浜税関が清水、小名浜に係官を出張させ、マグロの解体作業を見学し、関税鑑査官とフィレか否か分類の協議を重ねているとの情報も入っていた。私はフィレに該当すると確信しているから、私の分類意見を述べたが勿論採用してくれない。
議論が長引いても困るので、「百歩譲ってフィレでないとしても、冷凍マグロを解凍し生鮮マグロとなっただけでも、加工となり項が変わり原産地はタイになるのですよ。(タリフの魚の部に、冷凍、生鮮、フィレと3つの項がある)」と言うと、予想したように大騒ぎになった。皆「そんなもの加工ではない。」私は「加工に該当しないと何処に書いてあるのですか?」と反論。
兎に角税関は「原産品の魚」とは「タイ獲れの魚のみ」と決め付け、その考えで頭が凝り固まっていたから、魚を捌くことで項が変わる等とは考えもしなかったのだろう。
私の意見に対し、「立法の趣旨はそうではない。」との抽象論で、否認する発言を繰り返すばかりだった。しかし、そのような文言は法令の何処にも無いのである。
やがて話は当然のように、暫定・規則で言う微小加工(加工しても原産地が変わらない)の問題に移って行った。
税関は「微小加工で原産地の変更を認めないものの中に『・・冷凍、乾燥、塩水漬け・・』とあり、「解凍」も『冷凍』に入るから駄目だ!」と、勝手な解釈論を展開し、最後には「何故初めは『解凍』を言わず『フィレだ』と言ったのか」等と迫った。
私は「初めフィレと言ったのは、議論を分かり易くする為である。万が一「フィレ」でないとしても、「解凍」しただけでも私の説は通ると、最初から考えていた。
又、税関の言う『解凍』も『冷凍』に入るとは、勝手な解釈で全くの暴論だが、再び、百歩譲って入るとしても、法令の『・・・冷凍、乾燥・・・』の前の記述をよく見て下さい。『・・・輸送または保存の為の・・・』と書いてあるでしょう。本件は《加工又は製造の為》の解凍だから、該当しませんよ。」と言うと、彼等は急いで法令を見て初めて気付いたらしく、もう有効な反論は何も出なくなった。
「兎に角、私の論理は何処に出しても、(言外に『裁判でも』)通ると思うから、修正はしません。」と私は繰り返した。このセリフは、喧嘩する気は無いから、抑えた言い方だが『自信があるなら更正(強制課税)をしなさい。』と内心で言っているのだ。
最後に次長が言った。「本省の事務連絡では、製品は良いが半製品は駄目だと言っている。半製品の分を払いなさい。」 何と、これは嘘を言っているのだ!
私はその事務連絡を別のOBから手に入れ知っていた。私は腹が立ったが我慢して「可笑しいですね。事務連絡の標題は『マグロ缶詰及びフレーク(半製品)について』となっている筈ですが・・・」すると、私の真正面に居た丸尾統括が一生懸命に書類綴をめくって「あっ、尾山さんの言う通りです。」と、私等にそれを見せたのである。
次長は渋い顔をして黙ってしまった。 そして、それ以後は誰も発言しなくなった。
後で分かった事だが、本省の調査課から「他社で追徴済みの税を返さない為に、三菱から半分でも良いから取れ!」と言われていたらしい。その事は、少し前に本省調査保税課長と本省の廊下で立話をした時の会話内容からも察しが付いた。 かくして、
3時間に及ぶディベートは、ノーペーパーで1人で喋った私の完勝に終わった。
3・実質自国関与品
一体、問題となった原魚は何処で獲れたのかと言うと、それは日本である。
三菱商事がそれをタイへ輸出し、製品にして輸入していた。ご承知のように特恵制度には「自国関与」という規定があって、自国から輸出した原・材料は、輸出時にその旨を税関に届けて置けば、加工国の原産品(原材料)として扱われるのである。
本件の原魚は正にこれに該当する。ただ、過去10年間製品にはタイ国政府発行の原産地証明書を付けているので、自国関与の届けは無くても問題なく免税になっていたから、その届けは省略していた。 然し、輸出許可書やインヴォイスで確認すれば、「日本獲れ」であることは一目瞭然である。本件は、この点から見ても実質的に特恵の要件を満たしているのに、遮二無二追徴へもって行くため、「自国関与の事後の届け出は認めない。」と言って、形式的な小さな不備を咎め、遡及して追徴だと言う。
完全に「増差税額に目が眩んでいる!」としか言い様が無い税関側の態度だった。
4・税関長交代の日まで打切り通知無し
3月1日の次長室の論戦でケリは就いた筈なのに、税関からは更正の通知も、調査打ち切りの連絡も一向に来なかった。年度末を控え会社は経理処理が出来ず大変困っていた。私は、税関の事後調査班の若い人から「うちの部の幹部は、決着していないのに、進行中の大口徴税予定として、この件を税関長に報告してしまった。」との話を聞いていたから、「税関長が代わる迄は、負けたとの処理は出来ないのだろう。事前に言ってしまって引っ込みがつかないのだ。」と、想像が出来ていた。
結果は正にその通りで、6月末税関長が交代した日に、調査打ち切りの通知が来た。
調査保税部長は私の良く知っている、昔一緒に仕事をした後輩である。
前年の秋以来論戦を重ねていたから、その歳の新年は挨拶に出向いた。勿論本件の揉み消しを頼むつもりなど全く無かったが、会って「色々お手数を掛けていますね。」とまで言うと、部長は途端に「いや、あの件は未だ結論は出ていないから・・・」と、何も聞いていないのに、突然バリヤーを張ったので、「今日は新年の拶に来たので、別にお願いに来た訳ではないから。」と言って直ぐ席を立って帰った。
事後調査は税関の仕事の中で、業績が金額で評価出来る数少ない部門だから競争に走り易い。だから、統括官や上席官クラスが増差税額を上げようと必死になるのは、私には或る程度理解出来る。然し、それがこじれて来た時、進むべきか退くべきか正しい判断をするのが、上級幹部たる部長、次長の大切な役目だと思う。
この元部長さんは、OB会では今も私と目を合わさないが、私は全然気にしていない。
5・公権力行使は慎重に、徴税のプロはもっと勉強を。
横浜税関は私の故郷であり、私が今日あるのは全て横浜税関のお陰である。
30余年間お世話になり、一家を養ってくることが出来たのも税関のお陰である。
従って愛着こそあれ、不当な妨害をするつもりなどは毛頭ない。然し、愛すればこそ後輩の皆さんには、世間に恥ずかしくない仕事をして貰いたいのだ。
公権力を笠に着て無理を押し通す事は、横浜税関の名誉にも係わるから、関西の税関の不明をたしなめるくらいの見識を持って、判断してもらいたいと思ったのである。従って、この事件の時は自分が碌を食む会社の利益を守る為よりも、行政行為の正しい在り方から見て、ある種の義憤や公憤を感じていたのである。言い換えれば、国家権力をバックにした税関は、徴税権と言う強大な権限を行使出来るが、だからこそ、現役の後輩達には、「もっと勉強をして、権力行使に当たっては、くれぐれも慎重であって欲しい。」と思った。これが本件を終わった時の、私の最大の感想である。
具体的に言えば、
① 更正を打てるケースについてのみ、修正を慫慂すべきだと思う。
そうでないと、輸入者は多少不満があっても、後難を恐れて税関の言いなりになる事が多い。
本件の論争中も会社の上層部は降りようとした事があった。「税関とトコトン喧嘩して良いのか?これからも付き合いがあるから・・」と言うのだ。
まさに後難を恐れた発言である。私は更正が来てからでも払えると言って説得したが、後難は現実に少し出ている。三菱商事の私の後のOBに対し、「尾山は非協力だった」等と言って、所謂「協力」を要求したのもその1つではないか。
また、徴税官は間違っても「他所は払っていますよ。」等と言って慫慂すべきではない。「○○法の第○条により・・・」と、法令に則って言うべきが当然である。
② 「更正だと税額は倍になる」
論戦が当方の有利に展開している時、営業の担当者が浮かぬ顔をしてやって来た。
「税関から電話があり『尾山さんは強気で一人頑張っているが、更正を打つと税額は倍になるから、今の内に修正をしたら・・・』と言われた」と言う。
確かにそのように間違って読み易い規定がある。 然しそれは明らかに読み方の誤りであって、税額が変わることは無い。私は担当者に心配するなと説明した。
この事は、正しく読んで居たのなら、嘘で脅した事になるし、規定を誤って読んでいたのなら、(故意ではないが)不勉強でありプロとして許される事ではない。どちらにしても、正しくない発言で修正を強要した酷い話である。
③ 事後調査が特恵輸入を問題にするときは、ことの本質を良く考えるべきである。
私は事後調査畑と通関審査畑の審査には、一定の境界があるように思う。
事後調査は本来、運賃等の加算要素の漏れ、輸入後の価格アップ、評価の解釈の間違い、計算ミス等で、通関時に分からず、商社に立入らなければ解明出来ない事項に重点を置くべきだと思う。
今回のような特恵適用の可否は、まさに通関時の輸入許可前に、税関窓口で十分審査出来るし、その時に解決しておくべき事項だったのではないか!
通関後特恵を否認すると、無税や免税が有税になるから、増差額は膨大になる。
然し、それに目が眩んでは、権力の不当な貪りというものである。
行政行為(輸入許可等)は、法律行為による庶民生活の安定・信頼を守るため、少々の瑕疵があっても、重大明白な誤りで無い限り取消し不能な事は、誰もが知る行政法上のイロハである。 今回のケースは、まさにその事が問われたのだと思う。
免税を有税に変えるのは許可の取消しではないが、許可内容の重大な変更であり、それは許可した官庁自身が、軽々に言い出せる事では無い筈だ。
ここが、今回私が一人でも国家権力に立ち向かおうと、最初に決意した所以である。
問題を本省業務課に持ち込んだのも、本件は典型的な通関マタ-と観念したからであり、業務課長と会った時も、「過去10年何も問題なく通っていたケースですよ。それを事後、突然遡及して否認するのですか!」と、力説して置いた。
この私の一言が、最後まで本省サイドで本件の結論を出す際に響いたと、後日別の本省の関係者から聞いた事がある。
6・誤った噂は止めて貰いたい。
論戦の最中種々の噂が耳に入ってきた。「尾山さんは、会社に行ったら後輩をいじめる。」「事後調査で滅茶苦茶頑張って、会社に恩を売り1年でも長く会社に居たいのだ。」「大商社の影響力で本省に取り入って、有利な結論(事務連絡)を出させる。」等々。 皆当たっていない。勝手に当てずっぽうで言っているものばかりだ。
(当然の事ながら、この件で本省・税関に対し、接待等は全く行っていない。)
当時から馬鹿馬鹿しいので別に反論もしなかったが、今回事件後10年経っても猶変な噂が横行しているのを知って、元気なうちにはっきり反論すべきだと思った。
① 「いじめ論」
「いじめ」とは、何と言う女・子供的発想なのだ。前にも述べたが、横浜税関は私の故郷である。いじめるどころか、常に正しく発展して欲しいと願っている。私はこの件では後輩の誤りを正し、業界(各社の担当者を含めて)を救ったと思っている。事実、そのように言う人も多い。
論争の最中、三菱の次に同じマグロで事後調査が入った伊藤忠は、固唾を呑んで見守って居て、色々探りを入れて来る。既に追徴された清水市の「羽衣フーズ」また然り。遂には業界誌も嗅ぎ付けて「書きたい!」と言って来たが決着が付くまでは駄目と抑えた。若しこの件を私が業界誌に喋っていたら、経過が全て公表され税関にとっては大変な不名誉を天下に暴露される事になったのではないか。
② 「会社に恩を売って長く居たい論」
この問題が持ち上がるよりずっと以前の1989年から、(三菱には内緒だったが)私は中堅ゼネコンの建設会社の監査役に就任していた。
親戚の経営するこの建設会社は(創立100年で社員250人、年商220億円)商法上の大会社に分類されるので、社外監査役が必要であるが、前任者が急に亡くなり困った社長が私に就任を依頼に来たのだ。
二足の草鞋を履くのは避けたかったが、社長の窮状も察して三菱の社内手続きは面倒なので内緒で就任した。然し、役員会、株主総会には出る訳で、その後ろめたさが嫌で、時期が来たら三菱を辞めて早く一本化したいと思っていた。
65歳を過ぎた時に、会社には「大蔵から交代を言ってきたら、直ぐ辞めるから」と伝えてあった。然し、後任者に対する人事院の承認が取れず、少し繋いでくれと本省から言われ、結果的に2~3年待たされたが、事件のあった年は漸く辞める方向が決まって、内心喜んでいたのだ。
確かに会社は私が実際に辞める前、大物役員が出てきて「尾山さん、大蔵の交代要求など蹴っちゃうから、もっと居て下さい。」と言った。然し、私は人事を長くやったから、現役の人事担当者がOBの斡旋でどれだけ苦労しているか良く知っている。大蔵省に「会社が『居てくれ』と言うから、残りたい。」と言うほど愚かではない。役員に言った。「それは有難いが、私は来年70歳です。自分の人生設計もあるし、大蔵(税関)との付合もあるから、今度は辞めさせて欲しい」と頼んで、(流石に建設会社のことは伏せたが)漸く納得して貰ったのである。
「恩を売る」と勘ぐるのだったら、私は入社して直ぐに6億円の節税を実現させ、会社を大変喜ばせたことがある。この方が4千万円より遥かに巨額ではないか。
それはブルネイから大量に輸入するLPGガスが、輸入後価格が大幅に引き下がる事となり、石油税の還付を受ける時の事だ。何しろ二百億円の値下げだから、ブルネイには返金する現金が無く、5年々賦で、物(LPGを無償で余計に積んでくること)で返す契約だった。
この戻税は、法令・通達上も殆ど不可能に近かったが、一寸したヒントから活路を見出して、東京税関・本省・会計検査院まで巻き込んだ結果、実現させた事例である。
兎に角、負けた悔しさを紛らしたいのは分かるが、推測だけで、いい加減な嘘の噂を流されるのは甚だ迷惑である。
③ 「張ったりに負けた論」
横浜税関の現役の知人S氏が、事件後数年経った頃、私に伝えてくれた話がある。
曰く、「未だに現役の中では、あの問題ついて『あれは尾山さんの張ったりに負けただけだ。』と言う人がいたから、私は『俺達は負けたんだろう。潔く負けを認めて勉強すべきだ。』と言った。」との事。分かっている人も居るのだなと思ったが、その話を聞いた時、「張ったりはどっちだ!」と言いたかった。
「更正は倍額だ。」とか、「半製品は駄目だ。」とか、張ったりを通り越して嘘までついたのは誰か?
私は「自ら修正はしない」と繰り返し言っただけであるが、勿論、更正が来れば直ちに異議申し立てをして、租税法定主義から言っても勝つ自信は十分あったから、決して「張ったり」等ではなく、確りした裏付けのある主張だったのである。
第4・あとがき
長くなりましたので擱筆しますが、以上がこの事件のほぼ全貌であり、事実関係は全て真実であります。私は負けた相手の傷に塩を塗るのは嫌だから、外部には沈黙を護って居ましたが、先日思い掛けずこの件を尋ねられ、事件後10年近く経っているので聊かの驚きも在りましたが、私も70歳代後半に入り何時何が起きるかも知れないので、思い切ってこの小論を書き上げました。
