(1) 序章昭和22年夏の終わり頃のことである。当時私は宇都宮農専の学生だったが、夏休みで実家(足利市の郊外で渡良瀬川の堤防の側に在った)に帰って居た。その夏休みも終わったので「今日(9月15日)あたりは宇都宮の学生寮に戻ろうか」と考えていた。 ...
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カテゴリ: かく生きて自分史
かく生きて(自分史) 番外編 趣味
趣味1・歌私は趣味が多い方で、変遷もあるが一貫して歌が好きだった。小学生時代は、女学校に通っている姉の歌う少女歌曲は直ぐ覚えて歌っていた。又、低学年の頃、「無情の夢」の「・・・命を賭けた恋じゃもの・・」のくだりを大声で歌いながら家に帰ってきて、母親に大変 ...
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かく生きて(自分史) 番外編 世相・感慨・人生観
世相・感慨・人生観 1・世相について我々の世代は第2次大戦末期には、国の為、老幼子女の為に命を捨てる覚悟もしていた。昭和20年春、私は17歳で幼年学校を卒業し、陸士に進むため帰省していたが、陸士に進む為に家を出る時、戦況の極端な悪化を見て、私等は生徒であ ...
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かく生きて(自分史) 第10 三菱商事〜第12 NPO法人「クイーンの塔」迄(老年期)
第10・三菱商事1・第2の職場(昭和59年8月)昭和59年7月、55歳で大蔵省を勧奨退職し、1ヶ月間の休暇の後、わが国の代表的な総合商社である三菱商事に、関税顧問として入社した。丸の内の本社において、全社的に通関及び関税問題の相談を受けるのが新しい仕事だった ...
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かく生きて(自分史) 函館税関長 税関時代(5)
19・函館税関長(昭和58年7月)函館の1年は忙しく、そして楽しい一年だった。管内は全道と東北の北3県(全国面積の3分の1)だから、各支署を視察するだけでも大変な事である。函館には家内も同行したので、寒地での1年間を風邪も引かずに、元気に勤め終えることが出来 ...
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